みなさんこんにちは。
このブログで何度か触れたことがありますが、私の長男は自閉症という発達障がいを持っています。
今回の記事は、「医師が書いたもの」としてではなく「ひとりの親が書いたもの」としてご一読ください。
長男は特別支援学校に通う小学3年生です。(以下“1号”と呼びます)
次男はこの春から地元の公立小学校に入学した1年生です。(以下“2号”と呼びます)
先日妻が“2号”の集団登校の見守り当番だったのですが、その日はたまたま“1号”の運動会の振り替え休日でした。
そのため“1号”も集団登校に同行しました。
“1号”はいつも通り、急にゲラゲラ笑い始めたり、唐突に独り言をつぶやいたりしていました。
集団登校の子供たちは不思議に思ったでしょう。当然です。親から見てもヘンですから!(笑)
そして予想通りの無邪気な質問が“2号”を襲います。
「あの子お兄ちゃんなん?」「なんて言ってるん?」
悪気はなかったはずの質問ですが、“2号”はその場では「うん」とだけしか返事ができませんでした。
“2号”はその日帰宅するなり、妻に「色んな子にそう言われたのが嫌だった。」と涙ながらに語りました。
そこで妻は“2号”に「『自閉症っていう障がいがあるから変なこと言ってるけど気にしないで』って言ってもいいよ。」と慰めると、
“2号”は「それは自分が“1号”をバカにしてるみたいで嫌だ。でも自分も自閉症のことがちゃんと説明できないから悔しい。」と…
そしてこう続けました。
「もう“1号”とはお出かけしたくない!だって“1号”がバカにされるの嫌だし。」
どこまでが『個性』で、どこからが『障がい』なんでしょうか?
どこまでが『変わり者』で、どこからが『変(ヘン)な子』なんでしょうか?
漢字の読み方ひとつで違うような紙一重の問題なんだと思います。
そもそも、それらを線引きする必要があるんでしょうか?
かく言う私も以前は、“1号”が道端で大声を発したり、人混みの中で突然ひっくり返ったりしたら、周りの視線を気にしていました。
「紙一重」なんて表現しておきながら矛盾するようですが、
“1号”は間違いなく『障がい』の範疇であり、
間違いなく『ヘンな子』です。
ただそれは、『世間の多くの人から見てヘンな子』なだけだと思っています。
集団登校の一件からしばらくしたある日、家族で出かけた先にコスプレをした集団がいました。
“2号”が「あの人たちはなんであんな格好をしてるん?」と聞いてきました。
私が「ヘンな格好してる人もおるやろ?」と返すと、(コスプレ好きの方、すみません!)
“2号”は意外にも「全然ヘンじゃない!」
私が「前に友達が“1号”のことを聞いたのも、今の“2号”みたいにバカにしてるわけじゃなかったはず。」と言うと納得した様子。
翌朝、“2号”は妻に「昨日は楽しかった!」と言ってくれました。
“1号”は杉田家の誰よりも毎日幸せそうです。
生きやすい環境を整えてあげる必要はありますが、そしてそれがすごく大変なこともしばしばですが、
本人が幸せなのであれば、
実は、「本人が周りにどう見られているかを気にしている私自身こそが問題なのでは?」と思うようになりました。
「普通」に無理矢理はめ込もうとすると本人も親も窮屈になってしまいます。
市の健診であったり普段の診察で、お子さんの発達のご相談を受けることも少なくありません。
正直なところ、私は医師としてその領域の専門家ではありません。
ただ、一般小児科医としてお答えできる範囲に加え、発達に問題を抱える子の親としての経験と考えをお伝えすることにしています。
子供の発達に対する評価やアプローチの仕方は、世の中の“教科書”が示すものだけでも様々であり、“素人”である親が悩みに悩むのも無理はありません。
“ひとりの親”としての意見が少しでも参考になれば幸いです。