みなさんこんばんは。
夏休みも後半ですね。私は読書感想文という宿題が一番嫌いでした。読書というものは自由に「感じる」からこそ価値があるはずなのに、それを改めて表現することで自分が「感じた」ものとわずかにずれが生じ、さらにはそれを別の人の主観で評価されることに意味があるのか?なんて子供ながらに疑問でしたね。
私はそもそも、「本を読みなさい」と言われることが嫌いでした。なぜ、漫画ではなく小説なのか?なぜテレビのドキュメンタリーではなく伝記なのか?「読書をすれば想像力が膨らむ」なんて諭されたこともありましたが、「読書でなくとも想像力は養える」なんてひねくれていました。(笑)
本題に入ります。3月の記事で私の自閉症の長男のご紹介をしました。
https://yurinokidai.com/2018/03/07/281/
自閉症の特徴の一つに、言葉の遅れがあります。〇歳までに言葉が出ないとそれ以降での習得は難しい、なんて言われることがありますが、来月で8歳になる長男はこの1年くらいで飛躍的に言葉が増えました。
ちなみに長男の初めての有意語は3歳になって間もなくに、「でぃちゃ」という「お茶」を意味する単語でした。これも家族以外は到底聞き取れないような、「ocha」とは程遠い発音でしたが、状況から「でぃちゃ」が「お茶」であるとわかりました。
そこから少しずつは成長が見られていましたが、小学校に上がってから(彼にとっては)飛躍的に言葉が増えました。通っているのは支援学校なのですが、教科書は絵本だったりします。その絵本に興味を持ち始めたんです。
ポイントは2点です。
☑動画配信サイトで好きな絵本の読み聞かせ動画をひたすら見るようになったこと。
☑頑張って音読しようという意欲を持ったこと。
最近の彼はタブレットで何度も何度も読み聞かせの動画を再生し、何とか自分で発音、音読できるように自主的に頑張っています。ラジオ英会話でフレーズの音読と丸暗記をする手法と同じでしょうか。
ただ、大前提は本人が興味を持つことだとは思います。療育には様々な手法があり、私たち夫婦もたくさん長男に試しましたが、興味の湧かないことを強要しても何一つうまくいきませんでしたね。
私の結論としては、「絵本は言語の発達に重要な役割を果たしてくれるツールのひとつとして間違いない」です。
*最後に
今回の記事は表題に「考えてみた」としました通り、私個人の経験から私が勝手に思っていることに過ぎませんので、それこそみなさんはこの記事を「読書」するように自由に「感じて」いただければ幸いです。